【唐三彩の歴史】について

唐三彩駱駝俑【SANCAI-Glazed Figure of Bactrian Camel Tang Dynasty】

19世紀末に大量の彩色された壺、動物、俑人形の焼き物が発掘されます。その一部が北京の骨董屋などで海外の蒐集家の目に止まり、「three-color glaze」として論文などで報告されてきました。その訳語を元に唐三彩という呼称が生まれ、世界中に知られるようになったのです。
現在も【SANCAI(三彩)】の名で世界中の美術館やアートコレクターに愛蔵されています。
唐三彩の造形は当時の社会や風俗を表して最も古い唐三彩の作例は、上元元年(674年)に現在の陝西省から出土した器とされています。
力強く瀟洒な様子である天子の像、武将の像、肥えた馬やラクダの像は、初唐の国力が強盛であったことを示しています。顔がややふっくらとして、体が豊満な女性の像は、当時の女性はふくよかであることが美しいとされたことを示しています。
古代・近代日本は建築・音楽・芸術等、文化的側面で唐文化に影響を受け、今なお我々の生活様式に垣間見ることができます。また唐三彩の技術・様式は長与三彩(1667年-1859年)、そして近・現代陶芸家に受け継がれています。